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[R]あれから早4年。3月11日は忘れてはいけない日です。

      2015/05/07

東北地方太平洋沖地震

どうも!りゅんた(@RyunNote)です(・ω・)ノ

さてみなさん2011年3月11日の出来事を覚えていますでしょうか?僕は今日になって思い出しました。あれから早4年経ち、僕の実家の方は元の姿に戻っていました。
全て元どおりというわけではなく、未だに爪痕が残っている場所もあります。

今日は当時を振り返ってみたいと思います。

photo credit: Miyagi Prefecture, Sendai, Japan via photopin (license)

2011年3月11日14:46 東北地方太平洋沖地震発生

東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒[1]、日本の太平洋三陸沖を震源として発生した地震。東日本大震災[14][15][16]を引き起こし、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした。

震源域は岩手県沖から茨城県沖にかけての幅約200km、長さ約500km、およそ10万平方キロの広範囲にわたった。地震の規模を示すマグニチュードはMw9.0[5]で、大正関東地震(1923年)の7.9や昭和三陸地震(1933年)の8.4をはるかに上回る日本観測史上最大[18]であるとともに、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな超巨大地震であった[19][20]。

地震によって大規模な津波が発生した。最大で海岸から6km内陸まで浸水[21]、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8m-9m[22]に達し、明治三陸地震(1896年)の津波を上回る最大溯上高40.1m(岩手県大船渡市)を記録する[7]など、震源域に近い東北地方の太平洋岸では、高い津波が甚大な被害をもたらした。津波は関東地方の太平洋岸でも被害をもたらしたほか、環太平洋地域を中心に世界の海岸に達した。また、宮城県北部で最大震度7、岩手県から千葉県にかけて震度6弱以上を観測するなど広範囲で強い揺れとなり、関東地方の埋立地で大規模な液状化現象が発生した。

津波、液状化、建造物倒壊など、東北の岩手県、宮城県、福島県の3県、関東の茨城県、千葉県の2県を中心とした被害は大きく、死者数は約1万8500人。(引用:Wiki)

今年で22歳になる僕ですが、当時はまだ高校生でした。ちょうど期末試験の最中で、早めに家に帰ったことを覚えています。

家に着いたのは13時ごろ。17時からのバイトに向けて家でごろごろくつろいでいました。家族はみんな外に出ており、家には僕1人でした。

14時に地震が発生し、一応作っておいた緊急バックを片手に外に飛び出しました。うちの実家のほうは田舎で、各家に家と同じぐらいの倉庫があるのが普通なのですが、家と倉庫の間で一番揺れがひどくなり、足を開いて立つことがやっとでした。電線は縄跳びのように回っていて、電柱は傾きはじめ、地面はズシャっという音とともに泥水が吹き出てき、自分のたっているところめがけて地割れの亀裂が向かってきまいた。

ちょうどその頃、2012という映画を見ていて、その1シーンに自分がいるかのような感じでしたね。

「あ、今日ですべて終わりなんだ。」

そうやって感じてました。次第に揺れは収まって、とりあえず銀行通帳やらを家に取りに戻りました。窓を全開に開けて、テレビはボリューム最大。水道管破裂していたので、溜め水場所などを作って、ビデオカメラを片手にとって、現状を撮影していました。

当時撮影した写真in千葉県

当時撮影した写真です。僕の実家近辺の被害状況を残しておこうと撮影していました。

Earthquake_touhokutihoutaiheiyouoki01

家の近くの道路。車は通れない状態で、この右側は川です。Earthquake_touhokutihoutaiheiyouoki05

これは畑の亀裂。約1mぐらいの穴になっていました。子供ならすっぽり埋まる感じ。

Earthquake_touhokutihoutaiheiyouoki03

上の写真の道路側。この左川は川で、橋に繋がる道になっています。1年ぐらいは完全修理されませんでした。Earthquake_touhokutihoutaiheiyouoki02

これは実家のハウス周り。地割れと液状化がわかると思います。撮影した時は水が引いていたのですが、出たてのころは水浸しになる感じでした。

あの頃はやけに冷静で、家に戻った後家族全員に電話をかけたり、通院している病院に連絡などをしていたんですよね。連絡とれなくて、誰かは怪我したかなっと思ったらうちの祖母がえらいスポードで車で帰ってきたのを今でも覚えていますw

「普通は震災時はゆっくり走るだろ!」「いや揺れおさまったからバッと帰って来ちまったよw」って会話しましたね。安心しました。

結局震災後3時間ぐらいで家族全員そろい、怪我人0人。水がないのでコンビニに買い出し&撮影していました。(結局水なくていろはすみかん味を買い占めました。。。)

震災はいつ来てもおかしくない。対策はしっかりと

Earthquake_touhokutihoutaiheiyouoki06

当時、りゅんた家は震災対策していなく、棚につっぱり棒を張っていなかったので、食器棚が崩れてしまいました。落ちたものをどかしても棚が持ち上がらないぐらい重かったです。

これが少し時間がずれていて、家族が料理していたり、冷蔵庫に飲み物を取っている最中だったら。。。
しっかりつっぱり棒やらチェーンを張っておきましょうね。

りゅんた的まとめ

東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方。ご冥福をお祈りします。

現在でも震災の影響で仮設住宅に住まわれている方も多いと思います。その方々が1日でも早く元の地域に戻れるようになることを願っています。

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